技術モヒカンに中指を立てる

モヒカンとは、技術的に優れている風を装い、勉強会などの会合で新参者に技術的に 正論と思われる論理を武器にして制裁を与える人種である。と、まぁここではそうしよう。 よくあるべんきょーかい、いべんとではマサカリを投げる、椅子を、斧を投げると言われる、 なんとも恐ろしい人たちである。ここでは、その人と、その界隈について。

まず、マサカリには中指を立てろ。自分の意見を否定されたからといって、 自分の意見を蔑ろにしてはいけない。正しく自分の意見を伝え、またモヒカンの伝えたい 真意を聞こう。学ぶものがあるなら学び、そうでなければ無視するがいい。

大衆に価値はない

モヒカンをもてはやしている人間の大半は、そのモヒカンの真意にどれほどの価値があるのか 理解してない。大衆たるモヒカン信者はあなたの意見を封殺しようとするだろう。 だけど、大半はモヒカンの真意を理解してないので、論破は容易である。 だけどただ中指をたてて意見を完全に無視してはいけない。本当に価値ある情報を 提供してくれてるモヒカンもいる。相手を見分けるのにはどうするのがいいのだろうか?

モヒカンを審査しろ

相手を審査しろ。Githubを見ろ。ただプロフィールを眺めるだけでなく、その人の書いた コード、変更点、コミットログ、issueやそれのコメントまで見ろ。良い着眼点を持って 開発できてるのか、貢献できているのか。表に出るプロフィールでは分からないことが よくわかる。というかその活動が本当の意味で、プロフィールは箔にすぎない。 そこをよく知ったうえで意見を聞くに値する人間か判断しろ。それがわからないなら まずは自分の目を鍛えろ、腕を磨け。もちろん Github やそこいらには表立たない 人はいるだろう。その人たちの価値が見極められないのなら、保留としておくのがいい。

マサカリを投げるやつ、なぜ投げるのか

マサカリを投げてるやつ。技術的に、人に何か教える意思があり、それを伝えようとしてる ならそれで良し。ただ単に人々、内輪にキャーキャー言われたいだけでならやめろ。自分が価値ある 活動をできていない、情報を提供できてないと思うなら、いますぐやめろ。 あなたが内輪に埋没するだけでなく、コミュニティそのものが進歩しなくなる。 仮初の頂点で、周囲の人間は学ぼうともしない。それは害でしかない。

私はかなり舐めたふうに中指を立ててきた。かなり失礼だったと思う。 ガキのころからイベントに参加し、 django が好きだと言っていた (なんとまぁ)。

django はモヒカンに否定された。でも俺は django が持つ価値を知っていたので その良さを説明した。相手にはその良さを分かってる人もいた。ある人はその良さ理解したうえで django の弱さも知っており、なにより好みの問題で、気に入らないとのことだった。 彼は自分の好きな Pyramid というフレームワークに貢献していた。それは素晴らしいことで、 良き開発者に思えた。意見にもスジが通っていた。だから彼からは非常に学ぶものがあると思えたし、 実際にそうだった。だけど俺はdjangoが好きなので譲るつもりはなかった。 中指は立てつつも技術は盗んだ。盗めたのは彼が実際に価値ある情報を、 非常にわかりにくい形で提供してくれていたからだ。

マサカリを投げる、という気持ちはわかる (気に入らないことはあるしなぁ)。 だけどありようとして、相手に教えようとしなければ自己満足にすぎない。

まとめとして

そもそも私は内輪感やそこのヒエラルキー、権威などというものが嫌いというのもあるだろう。 中指を立てていた。でもそのおかげで内輪を客観的に見れたんだと思う。さらに (かなり) 運のいいことに、価値ある情報を提供してくれてる人たちに会えた。初めてあった 人たちが本当にただの腐れクソ内輪で、バカみたいなマサカリごっこをしてるようだったら 俺はコミュニティに絶望していたことと思う。

話をまとめるとこれだけである。

  • マサカリには中指を立てろ。投げてる人間を審査し、それが価値ある情報なら盗め。
  • 自分の好きなものを蔑ろにするな。多くの人間はマサカリを恐れ、もてはやし、 そこに含まれる肝心の情報を吸収できていない。
  • 大衆と内輪に埋没してるのはマサカリのせいでない、てめぇが「何が良いものか」 の判断を他人に委ねてるからだ。
  • 礼儀をもって、正しく意見を交換しよう。それがコミュニティだ。